哀、燦々と

仕事帰りに降り立った駅のホーム。
ベンチに座っていた日焼け顔の女の子が泣いていた。
いわゆるガングロのその子は下を向き、こぼれる涙を拭いもせずに泣いていた。
“ガングロのくせに”なんて思ったのも束の間、何だかこちらまでもの哀しくなってきてしまった。
ガングロだからこそ込みあげる哀しさよ。
この哀しみは例えるならば、俊足のJリーガーがある日、ナイターの行われている神宮球場に呼ばれ、ヤクルトのベンチに入る。リードを許したままの九回裏。ヒットで出塁した選手に代わって代走を言い渡される。「とにかく盗塁を狙え!」と指示され訳も分からずファーストへ向かう。リードの取り方も分からず、ドギマギしていたら、いきなり盗塁のサイン。無我夢中で二塁を目指す。が捕手にさされてアウト。鳴り響く罵声、怒号の中を下を向き、哀しい顔をしてベンチに下がるJリーガーを見ている哀しみみたいだ。
駄目だ。例えてみたら余計に訳分からなくなってしまった。でもこの気持ちはきっと誰かは分かってくれるはずだ。例えるならそれはあいつとあいつはなんとなくやけど結婚するなと思う気持ちのような。